お点前の精度

昔の茶道は、多分、簡単だったんではないか?と考えている。

特に、大名茶。だって、大名茶人が延々とお茶を習うなんて考えられないし。適当に学んで、適当にこなしていたんではないか。難しい点前は茶堂にやらせるだろうし。

そこ手首の角度が違う、とか、そんな細かい事も言わなかったんじゃないか。井伊直弼だって片桐宗猿からほとんど通信教育みたいだし。


多分、千家の様な茶道指南で生計を立てている茶家が、長期に渡って収入を得る為の手段としてお茶を複雑化させたんではないかと思う。
あんま簡単に一人前認定すると、食いっぱぐれっからね。


台子の茶も、本来「台子」一つしかない点前だったろうに、「真之真台子」とか、流派によっては数が増えて行ったわけだから、100年後に「真の真の真台子」とか、さらに複雑になっていてもおかしくはない。


でも、そういう複雑化って、お茶の稽古をお茶事から段々遠ざけてしまったのではないか?実用にあんま必要のない点前が増えるって事だもんね。

お茶のスキルパスの向こうに、「お茶人」よりも「お茶の先生」が見えてしまうのも、現実に必要が無い程に複雑化したお点前の稽古のせいではないだろうか?