客作法之事

茶禅不昧公に「客作法之事」という文が引用されている。
以下全文:

客作法之事
一 案内あらば時刻をうつすべからず
一 座入作法の如くしてさわがしからぬやうに、就中にじり締きり心を付べき事
一 座付不申己前ノ高咄無用
一 炭あらば火うつりに心を付中立の時猶更心を可用事
一 鉦聲到らば速に座に可入花の露不乾を専一とす
一 火相のあしきは主の罪にあらず客の罪たるべし
一 客は主の仕能やうに主は客の能やうに可有事
一 名に似ても主の置合不違やうに腰掛の一具手水柄杓まで心を付べき事
到喫茶去 不到喫茶去 杜鵬一聲山月高

火相が悪いのは亭主の罪ではなく客の罪、ってのが判りにくいなぁ。

亭主は完璧に客入り時刻想定で炭をついでいた筈なのに、客が遅く来たり、座入りが遅くなったり、懐石をのろのろ食ったせい、という事なんだろうか?

セッションは主客双方が作るもの、って事かな。

あまりに上級者のご意見だわ。