初期茶道と台子

茶道の流れは書院から草庵へ移り、台子の茶が略されて侘び茶になった。これ、茶道の流れの定説である。個人的には疑問もあるが…。

では、いつそうなったのか?

永禄七年(1564年)の分類草人木に以下のようにある。

一、台子の時は、畏まりて茶を立つる也。畏まり様、口伝。

この段階で「台子の時は」とあるのだから、当然「台子でない時」もあったのだろう。

少なくとも、もうこの時点では「台子」はなにやらスペシャルなお点前だった様だ。だって、書院の茶が全てという時代には、台子は普通のお茶の筈なので、そんな畏まるものではない筈だから。

ただ、こっから前がいまいち辿れないんだよね〜。つーか、明文化資料がない。宗長日記(〜1532)の下京茶湯が侘び茶を指すか確証が持てないし。

利休の時代よりずっと前に分化が終ってたとは、思うんだけど。