後座の花
茶室に墨跡を飾り、中立で墨跡を片付けて花を入れる。
このやり方の始祖は道安である、と井伊直弼は茶湯一会集で言っている。
一 往古は掛物 花入 諸飾なりしを、道安作意にて、初座は掛物、後座は掛物はずし花と飾り替えて(後略)
室町時代のエピソードを幕末に語っているわけなので、そもそも信憑性なんてないわけだが、とりあえず調べてみるぜ。
松屋会記を前から読む。初座に掛物/後座に花の茶会を探す。
…結構ないぜ。
あ、あった。久好茶会記 天正十八年 八月七日朝:
一 京少庵ヘ 久好一人
古渓文字ハシメニ、後ニ大平ニ信楽ノツヽニキク
少庵じゃねーかよ!
また、慶長九年に久好は少庵と道安の茶に行っているんだが:
一 京都少庵ヘ 久好一人
春屋文字(中略)手洗ノ間ニ、文字巻テ、床ノ大平三分一脇、又高サハ三尺六寸九分程ノ所ニ折釘ニカンネン掛テ、八重白梅 ツハキ入(後略)
一 堺千道安ヘ 久好一人
古渓文字
少庵は中立で軸→花であるが、道安はカケッパである。
…どっちかてーと始祖は少庵の方がふさわしくね?
実は久重会記の最後(慶安年間)まで行っても、初座に掛物/後座に花、という例は主流派ではない。
少庵あるいは道安が始めて爆発的に流行した、とはちょっと言えない気がする。
どっちかってーと、江戸時代以降の風習。もしかすると江戸中期以降の千家系でそう教えていて、結果としてそれが常識になったのかもしれないんじゃなかろーか。