墨跡と花

茶室に墨跡を飾り、中立で墨跡を片付けて花を入れる。

初座と後座がどうなっていたか、松屋会記の久政会記を、利休が出世する前の天正9年までの範囲で調査してみた。

初座 後座 回数
墨跡 そのまま 30
墨跡 +茶壷 1
墨跡と花 そのまま 1
墨跡と花 別の部屋で別の墨跡 1
墨跡と絵 そのまま 1
そのまま 32
別の絵 2
茶壷 2
+柄杓立 2
1
そのまま 3
茶入 なし 7
茶入 4
茶入 墨跡 2
茶入と天目 なし 1
茶入と天目 墨跡 1
天目 1
そのまま 19
茶壷 1
5
花と絵 そのまま 1
同じ硯 1
茶壷 そのまま 1
香炉 そのまま 5
なし 墨跡 4
なし 11
なし 茶壷 5
なし 香炉 1
なし 2


何が判るか?

まず、井伊直弼が言う様な、掛物と花の諸飾、というのはほとんど存在しない、という事。

更に。初座に墨跡→後座に花、というのは天正十八年が初出なので当然ないのだが、花に限らず「初座の墨跡を中立に巻いて片付ける」という実例は一つもない、と言う事だ。


さて。

墨跡を掛ける、という事は、本来「尊敬する高僧を招く」事の代用。だから、中立で掛物を巻く、という事は、途中で高僧を追い出す様なもの。だからそんな事はできなかったのではないか?

そういう意味で、現在の「初座の墨跡を中立で巻いてしまう」というのは、既に習慣みたいになってしまっているけれども、本当はすんごい失礼な事なのかもしれない。