熊倉功夫について
熊倉功夫は、お茶を始めた頃は、茶道研究の一番偉いセンセイだと思っていた。でも、私にも知恵がついてしまって、今はあんまり凄い人と言う意識は無い。
なんでか。研究者として浅い気がするからだ。
例えば南方録の“会”には謎の文字「ス」というのが瀕出する。
2009年「現代語訳南方録」で、熊倉功夫は
なお、文中に「ス」という文字がある。字形からみると、最も近いのは片かなの「ス」であるが、「又」の誤写とか、「以上」の草書体とみることもできる。
と「以上」説を取った。
でも1983年「南方録を読む」では解題にこう書いていた。
先学はいろいろ考えて、たとえば「又」の字が誤ったのではないか、とか、「以下」の字を草書体にくずした型に似ているとか、論じて来た。
…以下?
1956年の茶道古典全集で久松真一はこう言っている。
ス 実山本はすべて「ス」とある。流布本は「又」とする。スは「以上」の誤写とも考えられる。
元々「以上」説はあったが「以下」説なんてのは存在しない。誤読で20年研究が進まなかった、というのはあんまりにもあんまりだ。先行研究をちゃんと読んでない、というのは研究者の態度としてどうだろうか?
他にも。
「近代数寄者の茶の湯」。この本で紹介しているエピソードは、高橋箒庵や野崎幻庵の著作や戦前の茶道月報(現在の淡交に相当)あたりを読めば載っている話ばかりだ。
旧作を紹介するのも重要な仕事と言えば仕事だが、元ネタの面白さに頼りすぎだ。話を膨らますために多方面に取材…なんて事もしてない感じだしな。
ってな訳で、最近は「熊倉さん昔思ってたより浅いナァ」とか思うようになってしまったのでした。…茶道史の入門にはいいとは思うんだけど。
…実は何冊か、熊倉先生の本をツンドクしてあるんだよねー。でももう、今更読む気がしないんだよねー…という事の為の長い言い訳でした。