茶道講義録第一篇

田中仙樵/大日本茶道學会/1950年。

仙樵さんは「理想の茶を追い求めた」のか「裏千家の技法を勝手に公開したかった」のか単に「自分が家元になってみたかった」のか良く判らなかった。

この本を読むと、ちょっと言わんとする所が判ったり。

即ち遊藝としての手前作法の如きは、唯一の最終目的ではないのです。云はヾ方便、手段に過ぎないのであいます。

裏千家をベースにお点前しているのは、お点前軽視なのでなんでも良かったから。かつ、自分が良く知っているから…って事でいいのかな。

ただ、彼の茶の理想の中に、裏千家から離れて理想の茶を探そう、というコダワリがあるのかないのか、曲尺割への傾倒を考えると良く判らなくなる。


しかしながら、彼の熱意には敬服する。


だっておじぎの仕方で3ページとか、水指の蓋の置き方だけで4ページも書いてあるんだぜ。

左の手の摘み方が悪いと、蓋が下つて見え、摘みの彈きが一文字にならぬものであります。
又此摘みのみに注意すると、左の手首が妙に曲つていけません。之は左の臂を脇に附ける様にして、成る可く下から腕を一直線に向ふへ出す様にするのがよろしい。然らざれば恰かも摘んで下げた様に見えます。

こんな感じで延々。

そのノウハウ記述の執拗さを見ると、お茶に対する熱意だけは疑えないと思う。読んで仙樵じいさんに対してかなり好意的になった。