侘び茶と茶杓

私はいまんところ、自分に、多少なりとも感心してもらえる道具、が手に入るとは考えていない。

数寄とは数を寄せる事、という概念を正とするならこれはひどく残念な事だ。でもまぁ仕方ないヨネ。

そんな中で、侘び茶らしく差別化できるものって茶杓くらいしかないんじゃないか?と思うのだ。

大した道具ないのに微妙な坊さんの茶杓…というのも変な気がするし、大した道具ない上に稽古用茶杓に仰々しい銘というのも寂しい。

自分で選び、自分で削り、自分で銘を付ける。その茶会使いきりにする。手間は掛かるけども、茶杓に茶境が見えるなら、自己表現としてアリと思うのだ。


…本当に茶杓に茶境が見えるのか?という議論は、また別の話ね。なんとなく器用かどうかだけしか判らん様な気もしなくもない。