火伝 千幸兵衛
コンビニで謎のお菓子「火伝 千幸兵衛」を購入。
裏にこんな事が書いてある。
茶人「千利休」の弟子
「幸兵衛(こうべい)」
彼の焼いた茶菓子が秀逸で
褒美に与えられた名が
「千幸兵衛(せんのこうべい)」
これが縮まり「せんべい」に
なったという
言い伝えがあります
…どんな言い伝えじゃ。
では検証してみるぜ。
まず、人名として存在したか。茶道全集の「古今茶人綜覧」には出てない。
茶道全集の「茶人(I)(II)篇」「懐石篇」「利休篇」にも記載はなさそうだ。
でも記述が無い、という事を証明するのは悪魔の証明なので、こちらとしては「そういう言い伝えがあるなら出典みせてみろや〜」くらいしか言う事はない。
歴史。コムギ粉料理探究事典によると、「煎餅」の初出は唐菓子として平安時代の「和名類聚抄」だそうだ。
早稲田所蔵の該当部分↓:
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ho02/ho02_06837/ho02_06837_0002/ho02_06837_0002_p0102.jpg
ちなみに「松屋会記」にはセンベイに関する初出は慶長9年。イリモチであれば弘治元年。どっちも利休の茶会ではない。
「利休百会記」には利休によるセンベイの使用例があるが、これ資料としては信憑性に問題が有るしね。
なおwikipediaには千幸兵衛のエントリがあるが:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%B9%B8%E5%85%B5%E8%A1%9B
「説がある」程度のヌルい記述に留まっている。
でも多分、この千幸兵衛ってのは亀田製菓の創作だと思う。
伝承にしては文化的におかしすぎるのだ。
まず、「千幸兵衛」→「千兵衛」という略し方がおかしい。
“兵衛”って部分は個人特定上ほとんど無意味な文字列である。
略すなら「千幸兵衛」→「千幸」という風でなければならない。「古田左介」を「古左」と略す事はあっても「古介」と略さないでしょ?
あと、千姓を褒美に与えた、というのもどうか。
町人が姓を与えてはいかん、という事もないが、利休は秀吉の下にいるヒトですよ?そんな大それた事するとはとても思えない。
それに、利休が千姓を与えた例もないしね。
って事で、これはいいかげんな茶説、だと思う。ま、出典がない、という証明もできないのだけれど。