鈍翁とお金

鈍翁 益田孝より。


三井物産は三井の金を使わず、事実上益田の個人会社としてスタートしたという。

んで、三井物産創設時に、益田が三井家と契約した条件には以下の項目があった。

益田は会社から二百円の月給の他、利益金の一割を賞与として受取るといふものである。

不昧公なんぞよりよっぽど収入多いよ…。好きなだけ道具買えるワナ。


その有り余る財力で買えた道具はものすごい量であった。

死後の道具処分の逸話:

「なにしろその量はおびただしいものであった。当主である瀬津巌氏の談によれば一年に四回ずつ、そのたびに益田家の蔵に通って、なんと十五年続いてまだ残っていたという」

しかし:

昭和八年五月。
鈍翁は家督を太郎に譲り、隠居した。
(中略)
太郎はけだし存外に厳しかつた。鈍翁がまとまつた現金を引き出さうとしても、彼は許さなかったといふ。


昭和八年に家督を譲ってから死ぬ十三年まで、鈍翁はお金に不自由していた様だ。

茶道具買えず「断腸の思ひ」とか言っていたのはこの時期か。
http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20081208/

うは言の中で、鈍翁がしきりに、「困つた」「困つた」といひ、
「奈良から来て待つてるんだが、俺にはそんな金はないよ」といふ。
付添の看護婦か小間使かが、手をのべて、「もし」とかるく蒲団の上からふれ、
「どなたも来てをりませんが」といふと、鈍翁は眼をあけて、
「よかつた、夢だつたか」と深く息をついた。
「奈良からすばらしい屏風をもつて来てな、買はぬかといふもんだから」

死の前日の話である。

なんとも業の深いお話ではないか。