無適斎日録 昭和二十一年
河原書店/久田宗也/1978年。
久田無適斎の三十三回忌に出版された、無適斎の死の直前半年あまりの日記。
無適斎が亡くなったのは昭和21年9月。戦後の窮乏の時代のお茶の先生の生活、というのがいろいろ偲ばれる。
まず、お稽古場としては菓子が不足しているのに苦しんでいる。
干柿とかあぶり湯葉とかでなんとかしていてイジマしい。
…ていうかあぶり湯葉って何?
炭も不足していて、電熱器を使っていたりする。そもそも宗匠家が電熱器を持っている事自体びっくり、である。
しかしながら茶事は、めっさ豪華な道具。懐石が粗末。窮乏なのか侘びの趣向なのかさっぱり判らん。
あと、日記の中で、表千家は単に千家、と書かれている。久田さん的には千家ってのは表千家しかないんだなぁ、というのが伝わって来る。
あと、表千家で師範が休んだとかで、急に表千家の稽古に呼ばれる、みたいな事も頻繁にある。闘病生活でヒーヒー言っているのに。結構大変だな、脇宗匠ってのも。
それから、何回か官休庵が出て来る。
入れ替り奥にて休すむ官休庵を座敷に招じ和彦の手前にてお茶。
多分時期的に愈好斎だと思う。で、愈好斎にとっては実家だし、無適斎にとっては弟なので、「官休庵来庵」みたいな事は日記に一切書いていない。しかし、実家でゴロゴロする官休庵か…。
考えてみると終戦直後の昭和21年。久田家、堀内家共に当代が亡くなっている。結構表千家的にピンチな時期だったのではないのかね?