我楽多籠
高橋義雄/箒文社/1914年。
箒庵の、様々な趣味に対するエッセイ集。
その中の茶湯についての項目に、箒庵の茶の師事歴が記されている。
私が茶湯を始めました時は亡妻の存生中で、茶は至つて好物で、手前は表千家の青木政子と申す婦人宗匠に稽古し、
(大幅に略)
扨て、私が茶會を催すに就て、手前は誰れに稽古したかと申せば、本來私は手前に重きを置きませんで、兎に角茶が點てば宜いと云ふのでありますから、其頃宅に參られました青木政子に二三度稽古して貰ひました位ですが(中略)爾来十年間ばかりは自己流で押通して來ました。
箒庵は、当初、茶を奥さんの先生に習った事になっている。って事は奥さんが先行?
ホントかな〜?
明治四十二年(中略)白雲と云ふ銘の唐物で(中略)當然盆點にしなくてはなりません。扨て盆點となればまさかに自己流で取扱ふ譯にも參りませんから、京都表千家の東京代理たる川部宗無に就て、盆點の稽古を致すことゝなりました。
んで、その後、必要に応じて表千家の宗匠について学んだ、という事らしい。
式作法を稽古して居りませんと、折角意義ある茶が、時としては茶番狂言になつて、眞の茶味を破壊して了ひますから、茶禮を眞面目に心得る者は、相當の宗匠に就て一應手前を稽古して置く必要があらうと思ひます。
様々な手記で宗匠茶の批判限りない箒庵。
だが、師匠についてちゃんと茶を習う、という事に関しては結構肯定的なのな。
これはかなり意外だった。