鋳型

高橋義雄“我楽多籠”より。

箒庵的茶史観。

本來茶湯は喫茶の一作法に過ぎぬのでありますが、其流行の上流社會に瀰漫するに随て、坊主は坊主の立場を以て之を利用し、俗人は俗人の都合に依つて之を利用するので、茶湯の風體に世間的、出世間的の色分けが現るゝやうに為つたのは固より當然の勢であります。

この一文だけ読むと、箒庵って凄いんじゃね?とか思ってしまう。


人は様々な思惑で茶史に捏造や牽強付会を行って来た。さらにそれが正当化され全てが正しい、という大前提の元で次の嘘が積み重ねられて来た。

だから、利休が白布を送りつけ、宗旦が炉壇の温度みて帰っちゃう様な人としてどうか?というエピソードが伝わるのだろう。

そういう余計なビジョンを取り除いて考えれば、茶道に見えて来る物がある!


…とか、そういう話を期待しながら読み進んだが、残念ながら考えすぎだった様だ。

後世茶湯を論ずる者が此區別に着眼せぬが為め、往々混雑して疑惑を生ずるのでありますが、歴史に徴して成る茶人の風體を考察すれば、一目瞭然致すのであります。
例へば遠州や石州の風體が華美に過ぐると申しますが、彼らが出現した時代を見れば(中略)當時の政治家兼宗匠に向ひヤレ倹約ソレ質素とて、坊主臭い注文を為すのは甚だ無勘辨な話で、(中略)之を一概に茶道の衰退と為し、罪を當時の宗匠に歸して無暗に之を攻撃するのは時勢を知らない愚論であります。

昔の茶人が時代時代にあった趣向を凝らしていたのは批判に及ばない、と、言いたいだけだったみたい。

そして、時代とその人の身分や立場に応じた茶の湯をしなさい、と言いたいみたい。

だから、誰も彼もが極侘び、というのはおかしい、という。

大名も平民も同じ鋳型の茶湯と為つては、其茶は借り物で其人の茶でなく不自然なる他人の茶と為つて了ひます。

…ま、そりゃそうかもしんない。

兎角世間の俗宗匠は誰れ彼れの區別なく、同じ鋳型の中に入れやうと致しますが、是は茶湯道に自己を没却せしめんとする悪魔であります。

結局宗匠批判キターッ。

  1. 昔の宗匠は、時代に応じた自由な茶をしていた。だから、それを現代の感覚で攻撃するのは愚かである。
  2. 今の宗匠は、画一的な弟子を作ろうとしている。だから、俺はそれを攻撃するぜ!


という事なのかな。

今の宗匠は、今の時代に応じて画一的な弟子を作っている。これこそが時流なので、箒庵の感覚だけで攻撃するのは愚かである…と言えなくもないと思うのだが。