古事類苑5 風爐の釣釜

喫茶指掌編より:

宗旦時代までは春暖なれど未風爐に難上時に、爐蓋の上に風爐を置て點茶せし事有、四畳半の爐に蓋をして其上に風呂を置て釣釜などをもせし、
 こは道安利休を招し時の執向より始の趣なり、宗旦より風爐の釣釜やみしは尤もなり、潤色して善に至と云べし、

宗旦の頃までは、春だけどまだ風炉には早いかな、という時は炉に蓋をしてそこに風炉を据えてお茶してたんだよ、釣釜もやったよ。でも道安の趣向だから宗旦はやんなかったんだよ、当然だね…ってことか?


室町時代に盛んだった風炉の釣釜。

蛭釘を炉の上以外に、風炉の置き場所の上にも打っていた、と解釈していたんだが、炉の蛭釘を使うって方法は想像もつかなかったな。

これだと亭主と客の間に風炉がデンと構えて、邪魔じゃね?あと客は風炉の裏側を延々見せられるって事になるし。

道安の作意で、宗旦が廃したってのはいいがかりかな。
道安どころか利休の前から風炉の釣釜はあったわけだしね。

あれ?隣の記事は…

茶話指月集より:

むかしは四畳半の爐、夏に成りて板にて塞ぎ、風爐をそのうへになをし、釜をば鎖又は自在にても釣さげ圍爐裏だてのやうに、水指を置合せ茶をたつる也

むぎーっ!こんな基本資料にも書いてあったのか、読み飛ばしていたよ…。同じテーマの記述が並ぶ古事類苑のおかげで気付いたよ…。