古事類苑11 利休と秀吉

利休/秀吉の関係に関して。

"茶話指月集"は「利休は秀吉に言われて台子を習った」くらいしか書いていない。

では他の茶書は?

紳書曰く:

臺子の事、織田信長、利休をめして茶を立てさせられし、臺子の體ことごとく創意を出して古制にあらず、其後豊臣太閤の時、利休をめして臺子の法制を能々傳授し給ふ、
其上に利休に誓紙を參らすべし、一子にも我ゆるしなくば傳ふまちとちかえとあれば、
利休誓詞を奉りて、これよりのち茶會には爐を用ひしに、

利休が台子を改良したのは信長時代ということにしている。しかも昔から知ってた感アリアリ。

あと、台子伝授のお留めの話の為、利休は台子を人前でしない=炉を使う、という。でも利休晩年でも風炉の茶やってますよ?というか夏でも炉なの?そりゃないよ。

貞要集より:

太閤秀吉公へ臺子の茶式御相傳中、秀吉公御秘蔵にて、利休に誓詞を以、
私に他へは傳授仕まじき由仰付られ、臺子の傳授は秀吉公御直に相傳あそばれしなり、
御相傳の衆は、先關白秀次公、蒲生氏郷、細川越中守、木村常陸介、高山右近、瀬田掃部、芝山監物、七人なり、
其後織田有樂公執心にて願ひ給へば、有樂は年來數寄功者なれば、利休直傳仕べき旨上意にて、
秀吉公御前におゐて利休直に相傳せしにより、有樂は右七人の外也、

この話では利休は伝授を禁止され、秀吉が伝授しまくったという。つまり台子七人衆は秀吉の弟子。でも有楽へは利休が直伝した、という話。

貞要集は有楽流の本なので、自流派を特別視する為にこういう書き方をしたのかも。


結局、諸説適当にいろいろあるって事だな。