古事類苑22 大筒

備前老人物語より:

總じて茶の湯は世をのがれ閑居隱者のなすわざなれば、不辯に麁相にしていさぎよきをもとヽす、
元來ぶどふを本とす、さればにや上田主水茶湯の會にきやく來りて、くゞりの明を待居たるに、大づヽの鐵炮を玉なしにうちはなして客を請待せしと也、
又、多賀左近の雲州御在番に、茶の湯の時、はなはなくて甲をおかれしと也、
其本をわすれぬ心なるべし、萬事おもひおもひ心々なれば、是を是とし、非を非とするにあらず、たゞ當然の理に志たがふべし、

茶の湯ってものは隠者のする事だから、不便でアラがあってでも思いきりがいいのが基本。
元々武道が本なんだよね。だから上田宗箇は大砲の空砲射撃をドラの替わりにしたし、多賀左近は出雲での茶の湯で花を飾らずに兜を飾ったりした。
そういう基本を忘れちゃだめだよね。なんでも好き勝手やっていいけど、良いとか悪いとかそういう各自の価値判断じゃなくて、当然あるべき道に沿うべきだよね。

…って事?


兜飾るのはマ、いいでしょう…端午の節句っぽいですが。でも大砲はどうか?

大砲を空砲でうつのは近代では「礼砲」なので、とてつもなく式正な行ないですが、多分桃山〜江戸時代にそれをやると、「謀反の疑い有り」とか言われませんかね?


しかし備前老人物語は相変わらず変な話が載っているなぁ。しかもそんな話書いといて「道理に従え」みたいな事書かれてもなー。


江戸時代は武士が茶をやりまくった時代で、「足利義政は武士。だから武家茶道こそ本道」みたいなしょーもない事を言っていました。

でも、町方から「いや茶は町人の物だから」という反論が為された…というのは聞いた事がありませんな。言えなかったでしょうけど。

多分、江戸中期の千家の方々に本音を聞いたら「茶は町人でも武家のものでもなくて、金持ちのものですから」くらいいいそうなもんですけどね。