南方録と葉隠

突然だが。

私は、南方録と葉隠は、同じ培地から生えた二つの芽である、といいたい。


二つとも、元禄文化を背景に、世に出ている。
南方録は元禄3年。葉隠はその20年後ぐらいである。


二つとも、元禄のうわついた文化に対するアンチテーゼである。
南方録は、(おそらく)上方の千家の茶が紊乱である、という事に対し「利休へ還れ」というメッセージを込めている。その利休がどんなものか、当時の人はもう知らなかった。だから何でも創作できた。
葉隠は、上方の武士道、すなわち忠臣蔵の世界に異を唱えている。成功したからいいものの、徒党を組んで1年掛けて吉良を追い詰めて、討ち入り前に病死でもされたらそれこそ恥だ。一人でも二人でも、即吉良家に討ち入って切り殺されれば恥ではなかったのに、という意見である。


二つとも、九州の侍が書いたものである。これは、九州が文化はあるけれども文化の中心になく、かつ、独立の気風がある地域だったからだろう。
これに類する地域は金沢くらいしかない…が、あそこは上方文化の消費者としての面が強すぎる。


二つとも、著しく閲覧に制限を掛けていた。
極端な話を言えば、この二書に書いてある事は暴論であり、当時の上方の主流派の批評にはおそらく耐えられなかった。筆者は九州ローカルの書とする事で、この暴論を成立させたのだと私は考えている。
著者の死後コントロールを失って世間に流布したのはまた別の話。


ということで、この二書を元禄九州の保守的反動の(内輪向け)思想書、と捉えるとしっくりする気がするのだが、どうか。