日本人は、何でも道にしてしまう。

茶道、華道、香道などの芸能、柔道、剣道などのスポーツで、「道」と明示的についているものはもちろん、野球道だったり、ゴルフ道だったり、まんが道だったり(違うか)、この世のあらゆる作業に道と言うのは用意されているんではないかと思える程だ。

商売の世界もそうだ。
経営哲学、という名前で「道」を説くオヤジはいっぱいいる。
オヤジたちの言う経営哲学なんて、内容的は、哲学とまったく関係が無いし、経営にもあんまり関係がないことだって多い。


なにか、自分のやりたい作業がある。

そして自分にやれる範囲ってのがある。

でも、自分にやれないその先も、自分には見えているし、いずれ修行してたどり着いてやるぜ!ってのが「道」の正体ではないかと思う。


日本人はこの、目標地点をはるか先に設定する事で、自分の行いを美化したり崇高なものと錯覚するのが大好きなのだと思う。


多分、これは遺伝子レベルまで擦り込まれた習慣なのではないだろうか?

コロコロコミックなどの幼年マンガの世界で、ベーゴマやらミニ四駆やらの対戦で、世界や宇宙の危機が救われてしまう様なマンガが子供達に受け入れられているのは、そういう遺伝子の存在でも前提としないと理解できない気がするのだが、どうか?