やはりこの話に触れねばなるまい。
やがて席中から銅鑼が響いて來ます。亭主が迎ひ附に來る代りに、銅鑼で席入りを報じるのですから、一同、つくばひまして、その音を謹んで聞きます。
亭主が迎えに来るのを略するのに、蹲踞する理由は判らない。
初入りの時、亭主自身が迎えに来るのに
やがて亭主が迎ひに出てまいりますから、一同立ち上がつて無言で挨拶をするのです。
程度なのに。
とりあえず中立の銅鑼をしゃがんで聞くのは、昭和8年の本書まで遡れる様だ。
「裏千家茶の湯」の影響だけではない、という事は確定。
でも、どちらにしても裏千家の流儀の様な気がしてならない。