1694年の本書には1657年の明暦の大火で失われた茶入も集録されている。
投頭巾
楢柴
楢柴は宗湛日記にも絵がある。
おもしろいのは萬寶全書の方は、宗湛が右側になたれがある、と思っていたそのなたれが正面にされている事だ。
宗湛日記の絵と、本書の絵、どちらが正確なのだろう?
失われて40年くらい後の茶入の図が、どれくらい正確かは判らない。
でも、見たことがある人が書いた可能性も否定できない。
宗湛日記は原本の失われていて写本で伝わっている事もあるが、そもそも宗湛の絵が上手かった…とも限らないわけだしなぁ。
難しい所だ。