利休道歌に学ぶ15 柄杓

柄杓関連四首。

湯を汲むは柄杓に心つきの輪のそこねぬように覚悟してくむ

お湯を汲むときに、柄杓の「月の輪」がゆるんだりしないように静かに入れなさいということです。
(略)

「心をつけ/月の輪の」と珍しく技巧的な句なのに、内容が「柄杓は乱暴にあつかうな」なのが微妙な気持ちになります。
確かに釜の口にガコッとやっちゃう事はたまーにありますが…。

柄杓にて湯をくむ時の習には三つの心得あるものぞかし

風炉の場合に、柄杓で湯を汲むときの三つの心得をうたわれています。
一番目は、湯を汲むときには、柄杓の九分目くらいに汲むということです。
二番目は、湯はなかほどより下を汲み、水は中ほどより上を汲むようにするということ、三番目はいわゆる油柄杓を戒める、つまり釜や茶碗の口から柄杓を上に上げながらの動作を、油を汲んで油を切るようなことをたとえとして、戒めています。
(略)

句の方は「三つルールがありますよ」という、全く無意味な物で、だったら三句に分けてもいいから三つの内容を書きなさい、とリジェクトしたくなる内容です。

業躰の解釈の方は、句に具体的な内容がないので自由に好きな事書いてるだけです。
そもそも「風炉限定」なのはどこから来たのでしょう?油柄杓の禁が含まれていますが、肥柄杓とか、から杓や死杓、打杓は含まれないんでしょうか?
もし「百の心得あるものぞかし」って句だったら頑張って百個書いたんでしょうか?

湯を汲みて茶碗に入るる其時の柄杓のねぢは肱よりぞする。
(略)

特に異義はありません。というか、実用上大変役立つ重要な句だと思います。

柄杓にて白湯と水とを汲むときは汲むと思はじ持つと思はじ

要するに白湯であろうと水であろうと、いま言いましたように手先で汲むものではない、心で汲めということです。
手先で汲まないで心で汲んで着たら、柄杓の合が自然と回転します。それを心がこもらない人はゴボッと入れるでしょう。
(略)

いっくぞー、よし、汲んだ!持ち上げるぞー!よし持った!運ぶぞー…

みたいなフェーズがあるとうっとうしいから、すーーーっと汲んですーーーーっと運べ、と言っているんだと思います。

「心で」どうこうで解説したつもり、というのは言語能力的にちと貧弱じゃないすかね。
もっとテクニカルな話に落してこそ業躰だと思うんですけどねぇ。