茶道文化論集37 三千石

昔、「利休が秀吉から三千石もらってたってホント?」という疑問について書いた。
http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20150522

今井宗久、津田宗及および千利休は三宗匠といわれ、それぞれ三千石を給せられたといわれる。

本書の著者も疑問だったようだ。

大名は一万石以上の領地持ちだということになったのは江戸時代のことである。
(略)
前代の豊臣時代では、一万石以下の者も大名といわれる。
(略)
だから、利休らが三千石を給せられたというのが確実だとすれば、大名の待遇で迎えられたことになる。
(略)
ところで、知行の領知には、領地を所有するものと代官として支配すること、つまリ藏入地(直轄領)の代官に任ぜられて支配するのとの両様があった。

ただし著者は捨て扶持で、銭が支給された場合を想定していないようではあるが。

利休が領地もらっても管理コストとノウハウで困ると思うのだが。

利休ら三宗匠が三千石の知行を給わったということについての確証はない。
しかし、その一人の今井宗久については、ほぼこれを裏づける資料がある。

天正十一年八月朔日、豊臣秀吉今井宗久に摂州欠郡(住吉郡)内五ヶ庄の我孫子村・杉本村・苅田村・前堀村・大豆墳村・北花田村・庭井村の合計二千二百石の知行を与えている(今井文書)。
(略)
この宗久の知行拝領は、信長時代からの知行の安堵(継承確認)である。

秀吉が今井宗久を安堵しただけなのであれば、信長時代にこの知行をもらったとも限らないんじゃなかろうか?三好家から拝領し、信長に安堵してもらった可能性だってあると思う。
つまり、茶人として秀吉に見出され、扶持をもらったとは限らない。

利休と宗及とについては、実は徴証はない。
(略)
ともかく、三千石説は不明というほかはない。

まぁそうだよねぇ。