蘭坊録

1966年、舟岡山山頂から発掘された通称「紫野文書」。
その中でも大徳寺僧蘭坊が書き残した千利休に関する覚書が「蘭坊録」である。

大徳寺僧蘭坊は、千宗易大徳寺で利休居士となる為禅を修行した際の同門といわれており、後世の偽書がオブラートにつつんでしまった「祖佛共殺」そんな利休の茶禅一味を現代に伝えてくれている。

ある時田舎の侘び茶人が利休へ一両渡して、これで(私のために)茶道具を買って下さいといった。
利休居士はその茶人を殴りつけた。
茶人は「なぜ私は殴られたのでしょう?」と聞くと、利休は拳をかざし、にやりと笑った。

利休が守口の茶人を不時に訪れたところ、自ら柚を採取し、柚みそを作りもてなした。
利休がそのもてなしを一層面白く感じていると、亭主は大坂から届いたばかりの蒲鉾を出した。
利休はその茶人を殴りつけると、拳をかざし、にやりと笑った。

秀吉は利休の屋敷に咲き誇る朝顔の噂を聞き、茶の湯を所望した。
秀吉が利休の屋敷へ訪れると、朝顔の花はすべて摘み取られていた。
秀吉が不興に思い、「朝顔はどうした」と聞くと、利休は秀吉を殴りつけ、にやりと笑った。


過去の多くの茶書が、茶禅一味を説きながらも、臨済禅の本質を読み誤っていた、ということがよくわかる。

臨済禅というのは非常に暴力的な禅である。

茶と禅が一味であれば、それは鼻の奥のツーンっとした鉄の味であり、抹茶は治療薬なのだ。