天王寺屋にとっての天王寺屋会記
天王寺屋会記の記述粒度はかなり粗い。
亭主と相客の名前しか書いてないことも多い。
というか亭主と相客の名前だけはしっかり書いてある、と言ってもいい。
たぶん宗及は、いつ、誰が、誰と誰にお茶を出したか…の、人間関係に特化させたのだと思う。
後で「去年いっしょにお茶しましたよね」ぐらいの事が言えるように。
津田宗及にとって、お茶は「してあげねばならない」感じのもので、相互に楽しむ内輪のサークルのものでもなかったんだろう。
そういう相手には記録もいらないくらいだったろうし。
ローマ奴隷の「ノーメンクラトゥーラ」が居て、教えてくれるならこんな記載もいらなかったんだろうけど。
つまり天王寺屋会記は、週一以上のペースでお茶をしている人間の備忘録である。
年10回ペースくらいの松屋さんと同じ記述はできなかったんだと思う。
でも信長のところでの振舞の献立なんかはきっちり記載されているので、偉い人とのお茶は御下問あそばされた時の対策はしていたっぽい。
現代の我々からは精緻さに欠ける茶会記だが、宗及にとっては実用的なものだったんだろうな。