茶道の常識2

松尾宗吾の語る茶道史は、それなりに突っ込みどころがあるのだが、いちいちは突っ込まない。
ただ、この部分気になる。

居士は、幼少の頃から大變に此の道を好み、北向道陳に師事しましたが、天才に加ふるに研究の結果は師匠道陳をして「與四郎の茶道、吾れの遠く及ぶ所にあらず。」とさへ嘆ぜしむるに至つた程で當時の茶道界に千與四郎の名は末おそろしき青年茶人として、喧傳されたと申すことです。
或日彼の師匠道陳は大茶伯武野紹鴎に會つた時に此の千與四郎なる若者のいかにも茶道に執心なる事、又彼の才の非凡なる事を物語つたのであります。
(略)
之れより利休は紹鴎の門に遊び、益々斯の道を修練せられたので有ります。

お気づきだろうか?

このストーリーには辻玄哉が出て来ないのである。

自分の先祖が利休に台子を伝授したであろうに、全く触れていない。

奥ゆかしいどころではない。
どういうことなんだろうか?