各種記録から考えると、濃茶が廻し飲みになったのは、天正十年以降。それ以前のお茶は、各服点てだった筈だ。しかし、各服点てではあまりに時間がかかるのではなかろうか?例えば、松屋会記の天正以前の記録。「台子+釣釜」ブームの頃の客組でも相客5名とか…
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