各服
各種記録から考えると、濃茶が廻し飲みになったのは、天正十年以降。
それ以前のお茶は、各服点てだった筈だ。
しかし、各服点てではあまりに時間がかかるのではなかろうか?
例えば、松屋会記の天正以前の記録。「台子+釣釜」ブームの頃の客組でも相客5名とかのがざらに有る。
大変だったんではなかろうか?
で、実際どうだったか考えてみた。
1.点前が簡略だった
台子が神秘化する前は、点前も簡略でぱっぱと出せた可能性が有る。
当時の茶人の興味は点前の優劣ではなく、道具の優劣なんだから、点前がてけとーで一瞬でもどーでもいーっちゃどーでもいーのだ。
2.点前は薄茶相当だった。
昔の濃茶が今の薄茶相当の薄いものだった可能性は否定できない。
なにせ江岑宗左の時代でもそうだったのだ。
http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20101103
ならば点前も時間が掛かるものでなかった可能性は高い。
3.忍耐力があった
ティーセレモニーとして、わくわくしながら待つにやぶさかではなかった可能性もある。
4.そもそも時間がありあまっていた。
一日二食時代には昼食という概念がない。
基本茶事は朝茶事である。
日が暮れぬまでに終わればどーでもいーというのんびりした趣味だった可能性は否定できない。
遅くなったらなったで後段の宴会に突入するんだし。
…この辺、残念ながら資料から読み取れないのだ。
個人的には4を推したい。
茶事は二刻を過ぎぬよう…なんて世知辛くも官僚化された江戸時代の発想な気がするもの。
利休以前からの古流には今でも廻し飲みしない流派もあるという事なので、そこがどうなっているか知りたいところだ。