昨日の続き。 少庵は慶長十九年九月三日、六九歳で没した。 宗旦はそれから四年程して、一畳半を造り、不審庵と称した。 それまでは、少庵の建てた深三畳台目が、千家の茶室として代表的な地位を占め、多分、不審庵と称されていただろうと思われる。 それを…
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