在判

競売でわかったのは、在判の有無で業者の食いつきが違う事。
でも在判というのはいったい何なのだろう?
所有者でもない人が茶道具に朱を入れちゃうのはどういうことなんだろう?

座忘斎の在判は表千家の人に価値はあるの?
逆に而妙斎の在判は裏千家の人はどう感じる?
私は家元のいないマイナー流派所属。教授の在判なんてどう考えても他流派の人にはゴミだろう。

でも他の流派の在判はゴミ同然なら、自流派のも他人には結局ゴミ同然。

私は茶道具が高価な商品として流れるのは否定しないけど、妙な落書で値が上がる(しかも他流派の人にはゴミになる)のはどうかと思う。

なんだかよくわからないよね。