小笠原流

大名茶の中に小笠原流があるという。

調べた。小笠原礼法からの派生らしい。

まず信州の豪族、小笠原氏が弓馬術教えているうちに礼法の先生にもなった、みたいな話が発端。

小笠原家は先祖で2系統に分かれ、江戸時代に大名になった惣領家と、将軍家に礼法教えた清経家があった。

一応、清経家が礼法の正統。でもお留め流になったので小笠原流がブランド化し、町方で勝手に小笠原流を名乗る道場も現れたらしい。

子供の頃からマンガやなんかで、きどったオバサンが必ず身につけていた小笠原流は、戦前の教育で小笠原礼法が教えられてた影響らしい。でも、それは現在の小笠原流二派と関係があるのかないのか良く判らない。

惣領家は明治に華族*1となった。

この惣領家小笠原家の子孫が小笠原流礼法を登録商標にし、清経家から訴えられた。

判決で商標は清経小笠原家に移ったが、惣領家小笠原家はなぜか商標使い続け、商業的にも成功しているみたい。我々が一般に見聞きする「小笠原礼法」はここのもの。清経家は「弓馬術礼法で身を立てない」とのルールで商売になってないみたい。

結局小笠原流の茶道自体はあまりよくわかんなかった。多分惣領家と関係があるんだろうとは思うんだが。

さて、歴史ファンとして小笠原氏といえば、小笠原貞慶小笠原諸島だ。

織田政権末期、小笠原氏の本拠地深志は織田方の木曾義昌の領土となっており、貞慶は信長に返還を嘆願していたが成らなかった。
本能寺の変の際、上杉側の援助を受けて叔父の貞種が深志を占領した。ついで貞慶が徳川の援助を受け、叔父を追い払い、深志を松本と改名した。骨肉の争いと言えばそうかもしれないし、出来レースという可能性もある。

小笠原諸島は、江戸時代、自称小笠原氏の子孫の浪人者が、先祖が発見したと主張した為この名で呼ばれる様になった。これは惣領家の訴えでそんな先祖いねぇって事になった。

親族の争いとか怪しい権利主張と裁判とか、やってることカワンネーのでむしろ納得感?

*1:超お高いスペイン料理屋小笠原伯爵邸はもともとこの人達のもの