うるしの話

松田権六

うるしの話、とあるが、うるしの話は主題ではないかも知れない。話の内容は正確なのだろうが、そんな話松田権六でなくとも書ける話だからだ。

漆芸家の話、でもない。松田権六を一般的な漆芸家と考えるのは難しい。漆芸家の方も困るだろう。

人間国宝となった大家の話、でもない。もし人間国宝になるのに松田権六の様でないといけないとしたら、人間国宝は激減するだろう。

ケタ外れの巨匠、松田権六の自叙伝。私の語彙ではそういうしかないだろう。

彫刻の高村光雲はじめとして要素技術それぞれでありえない様な師匠を持ち、ありえないような激しい修行をし、人間国宝になった巨匠の自叙伝。


ただ、生活の為の数塗りはごく若い頃しかやっていないので、各地方の塗り物に対する評価は厳しすぎる気がする。××塗りは下地がひどい、とかの評価は、いかに正しくとも、やさしさの無い正論だと思う。質の高い製品は高くとも売れる。そんなのは理想論に過ぎない。質を下げてでも安物を作らないと食って行けない人も、質が低くとも安いものしか買えない買わない人はいるのだ。


個人的にショックだったのは蝋色仕上げは手抜き、塗り立てこそ技術。という評価。手数の多い蝋色の方がカコイイと思っていたが、ムラやゴミがごまかせない塗り立ての方が難しいからだ。いや、たしかにそうだが、吹き付けとかの技術の発達した現代ではなんとなく塗り立ての方が安物ちっくに見えちゃうと思うのだが、どうだろう?