茶禅一味

茶道の歴史では茶と禅を近づけようとする人が時折世に出て来て大きな影響を残していく。

宗旦とか、立花実山とか、井伊直弼とか。

彼らの主張は「今の世の茶の湯はまちがっちょる」である。

これらの人が目立っている、ということは、彼らの主張はとっぴなのであろう。

これらの人が何人もいる、ということは、彼らの主張は主流派になりえなかったのだろう(何回も禁煙した、というのは何回も禁煙できなかった事を意味するのとおなじ)。


「間違った茶道」ってのは多分、遠州から宗和への流れだと思う。こっちの方が常に主流派であって世に受け入れやすく、茶と禅を同一視した茶道は難しく受け入れられて来なかった、という事ではないだろうか。

ふつーは四季折々の花を、菓子を、考える方が楽しいもんね。