刀と箱書

刀はじめました。

といっても脇差ひと振り買っただけだが、眺めているだけで1時間やそこら簡単に経つ。茶道具の用の美と違い、純粋な賞美の対象として楽しい。ま、用の美にしちゃまずかろうな。

さて、刀の世界には折紙と札、というのがある。

本阿弥家が刀を鑑定し、良い物には折紙、という形式の鑑定書を出し、良くないものは札という形式の鑑定書を出す。折紙付のできる人、札付のワル、の語源である。

現在の各種団体の鑑定書もこの折紙のフォーマットを踏襲している。


で、この鑑定で値段が変わってしまう。私はこれが現在の茶道具の箱書きビジネスの原型だと思う。

千家が商人としては凋落し茶の師匠になった頃から箱書のビジネスははじまっている。

利休は目利きとして茶道具の値をつり上げたが「これはこのくらいの値段」といって相場を操作した。利休は商人だったので、相場いじって自分で茶道具流行させた方が儲かるし、楽しかったろう。しかし、自分で売る物がない場合、ネームバリューを売るしか無い。

本阿弥家は光悦以降、茶の世界と接近した。乾山や楽家も本阿弥家の血縁だ。
本阿弥家から千家が学んだビジネス手法なのではないかと思った。