金地院崇伝は、織田有楽斎と茶友であった。
沢庵宗彭は、小堀遠州と茶友であった。
坊主と武士の茶友関係、という意味ではおんなじなのに、前者に爽やかさのかけらも感じられないのがスゲエ。
坊主の崇伝が権力者で、武士の有楽斎が世捨て人、という取り合わせも珍しい。有楽斎の場合、心情的な厭世でなく、保身としての世捨てなので、これまた特殊だ。
崇伝が、晩年の有楽斎をものすごーく慕っていたらしい。姪の一家を追い込んで滅ぼした崇伝を、有楽斎は嫌わなかったんだろうか?
…気にしないだろーなー、源吾殿だもんなー。
鎌倉時代、坊主が武士に茶を教えた。
桃山時代、武士が坊主に茶を教えた。
主客が逆転しているのも面白い。