世田谷区立郷土資料館 喜多見氏と喜多見流茶道

かって、世田谷には彦根藩の領地があり、代官屋敷があった。

ま、彦根藩の世田谷領というのはおかしな言い方で、井伊直孝彦根の他に世田谷ももらった、というだけのことだ。封建社会では領地は個人に帰属するので、領地の共同体を中心には考えない。藩、というものをクローズアップしたのは、幕末以降の風習なのだ。
だれそれ様の家来、から、どこそこ藩の藩士、に名乗りが変わるのは、実はあからさまな殿様軽視だったりする。

さて、世田谷区立郷土資料館は、その代官、大場家の屋敷跡に建つ郷土資料館である。つーか、敷地内に大場さんの住居がまだあって、お住いだ。

なぜここに行ったかと言うと、平成2年に「喜多見氏と喜多見流茶道」という企画展があり、そのビデオ資料が今も見れる、ということだったからだ。

でもビデオ上映装置、壊れてました…。

なので図録のみ購入して撤収。

喜多見重勝は、小堀遠州や沢庵と交流深く、流派を起こしたが、側用人として失脚後、お家断絶、という憂き目を見ている。陣屋跡から茶陶が大量出土していて、企画展となったみたい。

井伊直弼もそうだが、政治の中心にいる、ということは危険も大きい。石州や遠州が流派を伝える事ができたのも、便利な造庭業者に堕したおかげといえなくもない。

一番驚いた記述。

当代大方古瀬戸の目利ヲ可知者加々爪甲斐守殿・喜多見久太夫殿也

旗本奴の乱暴者、加々爪甲斐*1って古瀬戸の目利きで著名茶人だったんすかー!

*1:隆慶の吉原御免状にも出て来たひと