市中の山居

市中の山居、という言葉がある。

京橋のジャンダルム喫茶部(2階)やお茶の水の喫茶穂高

山小屋風のこれらの店はまさに市中の山居、というしかない場所なのだが、多分茶道的な意味での市中の山居の範疇ではなかろう。

中国の老荘的賢者は、なにかウザイ事があると、すぐに世を捨てて山に籠ってしまう。そういうシノワ趣味的な隠遁者への憧れを、隠遁せずに町中で実施しよう、というのが市中の山居って奴だと思う。

だから、自分の茶室を「市中の山居」と称するのはそうそう誰にでもできるものではないと思うのだ。

自分は隠遁者になりたい、というのは、既に成功者として他人に知られすぎているよな俺。という尊大さがないと成立しない。

また、市中に山居があるギャップが贅沢でイイ!のであって、里山にあったら単なる田舎屋だ。


だから下町に住んでいる無名茶人が茶室を作っても、市中の山居とは自称するのは結構無理っぽいのではないかと思うのだがどうだろう?