我仏、隣の宝、婿舅。天下の軍、人の善悪
茶席にふさわしくない話題として、宗教と他人の財産、親戚関係、戦争と人物評はいかンよ、という事になっている。
同時代的にはごもっともなルールである。
「我仏」。高山南坊と本阿弥光悦と本願寺光佐が同席する可能性があった時代、それを語りだしたら大喧嘩になりかねない。
「隣の宝」は、隣の、という所がミソで、目前の宝の話はいくらしてもいいのである。そして目の前に宝があるのに、隣の宝の話をするのは亭主に失礼だろう。
「婿舅」。乳幼児死亡率が高いので、現代よりずっと養子縁組が多い。その中で婿話/舅話したら、抜き差しならん話になりかねん。
「天下の軍」は、興味ない人には迷惑だし、桃山期の茶人は武将か、さもなくば死の商人なんだから、うかつに機密漏洩しかねないのを配慮したのだろう。
「人の善悪」は誉めても貶しても聞かされる方はヤな気持ちにしかなるまい。
…でも今でも本当だろうか?
なにごとも実証しないと気が済まない派なんだ。私はね。
なのでこの辺をテーマに、例えば実母を交えてお茶会してみる、というのはどうだろう?
妻にもちかけてみました。…断固拒否してきました。
やっぱ茶席にふさわしくない話題なのかなぁ。