銀閣寺
銀閣寺の東求堂同仁斎に関し、歴史読本「武家茶道の系譜」に以下の二つの記事が有る。
吉村貞司:乱世修羅の茶
さらに、義政が珠光の茶を知らなかった証拠は、銀閣の同仁斎が、付書院のある主人の居間に用いたもので、当然とはいえ炉が切ってなかったことがあげられる。現在の炉は江戸時代になってからの造作である。
中村昌生:義政の普請道楽と茶座敷
この様に炉が切られ、茶具が飾り付けられていたという事実は、この部屋で茶を点てて飲む事ができたという事を示している。
「どっちだ!?」という感じだ。
ま、吉村氏は「義政は自分で茶を点てなかった(茶人ではない)」という強引かつ素敵理論を展開するし、中村氏も、床がないから同仁斎は客をもてなす茶室ではない、と草庵茶室の原点としては否定しているので、趣旨は似たようなものなのだけど。
とはいえどっちが本当か気になる。二次資料経由の情報なのでもどかしいところだ。