習える事、習えない事
俺のこの先はどうなるんだろう?やっぱり気になるので今のカルチャーのお教室で習えそうな事を整理してみる。
- 薄茶や濃茶の各種お点前
- 簡単な水屋仕事と道具の扱い
- 先生の講話から断片的に学べる茶道知識
諸先輩方がしている事が私の数年後のカリキュラムの筈。濃茶をしたり、ちょっと変わった道具を使ったりしているのを見るが、お点前の練習の範囲からは抜けていない。
じゃぁ何がたりないのか?
- 茶事の知識
- 懐石の作法
- 懐石と菓子の作り方
- 教室で使わない道具の扱い
- 趣向の組み方読み方
- 四季折々の知識
- 和歌や文学、歴史や人物に関する教養
- 茶室の知識、建て方
- 道具の目効き
- 道具の来歴と茶道の歴史
- 禅の知識
- 禅語の知識
- 古文献解読
- 花の知識
- 有名茶人の人物と筆跡と花押
- 有名僧侶の人物と筆跡と落款
etc.
茶人としてひと皮べろんと剥けるにはこれら「習えそうもない事」をどうやって習得するかを考えねばならない。
別の専門教室を探す、という手はある。灰型とかは教室があるので、流派と別の教室に習いに行けるかもしれない。でも、流派の先生が「その灰型NONよ」とかひとこと言うと終ってしまうのが問題か。
これらは大寄せ参加で多少は学べる部分もあるが、ほとんど無理な世界だ。
でもカルチャーの教室ってそんなもんだと思ってる。
先生にもっと密着して教えてもらうのか?もちろんこれが究極かつ最高だ。でもそれにはカルチャーの枠を越えねばならない。
裏には初級までとか、中級までとかしか教えてくれない教室がある。多分そういう教室であきたらなくなった人は、別の教室に移るのだろう。残念ながら私はそれができない。流派がマイナーだから。
先生は自宅教室で平日教室を開いているのだが、おいそれとそこに参加できる仕事でもない。
今、私の趣味の中では茶道が一番大きな時間とコストを占めている。でも、人生の全てをかけて学んでいるぜ!なんて事はない。我が身を捨てて、別の仕事に就いて…とかすればいいのかもしれないが、現実問題無理だ。これでも出来る範囲で頑張ってはいるんだけど。
去年秋、先行きの無さに悩んだ。でも、どうせ数年は基本的なお点前の訓練だけだろうから当分は進捗は遅くともカルチャーの枠の中で行くか、と決めたのだ。先の事は先に送ろう。宝くじでも当てて悠々自適の人生を送れるようになるかもしんないんだし、と。
…しかし、宝くじぐらいしか変革してくれるものがない人生ってのもどうだ?宝くじの与えてくれる希望って、確率論的には絶望と同義なんだよね。