白菊

ミリヲタなので、鵬雲斎の戦争について調べている。特攻隊でペアになった西村晃と二人だけ生き残った、という話をだ。

特攻隊と言うと、ゼロ戦に乗ってすんごい勢いで突っ込んで行くイメージだが、鵬雲斎の徳島白菊隊は、練習機の一種である白菊に250Kg爆弾2発を載せた特攻隊。

最高速度230km/hの機体に増加燃料と爆弾積んだ物だから200km/h出なかったと言う。空母を護るグラマンは600km/h以上出る。まともに戦うと絶対に勝ち目がない。なので夜間飛行で敵に近付く。当時は一人では夜間の計器飛行が難しかったので航法担当を加えた二人乗りなのだ。

しかし無事に近付いても終戦直前時期のアメリカの戦艦や正規空母は頑丈かつダメージコントロールに優れているので25番2発程度を水線上にぶつけてもまぁ沈まない。実際特攻で沈んでいない。駆逐艦や輸送鑑、護衛空母はいくらか沈んでいる。でも攻撃側が2000人以上死んだ戦果としてはどうだろか?

なお徳島のではないが、高知の白菊隊に関しては去年ドキュメンタリーになった模様。

http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/14th/05-356.html

猪口「あれは決号作戦に向けての試験特攻だった。練習機100機を突っ込ませて成功率を調べたんだ」

戦争というのは個々の戦場での勝手な蛮行を撚り合わせたものではない。トップダウンで命令の下る行政だ。どこか上の方でルールが作られ、予算化され、実施が命令され、結果として殺したり殺されたりする行為の事だ。

行政として、政策を実行して来い…というのと、死ぬのが政策なんで死ね、というのは当人にとってエライ違いだ。特攻は行政が国民に命令できる一線を超えてしまった。「ああ、そういう国になったのだな」と軍の士気が大いに下がったと聞く。

ちなみに「特攻は志願した兵士だけがするもの」の建前なんだけど、死にたい位愛国心の高い奴は最初にどんどん死んだので、戦争末期には強制志願といっていいものになっていた。実際、徳島白菊隊は「部隊毎」特攻隊に転換されている。ひでぇ。

これ以上の詳細は恵比寿にある防衛研究所戦史資料室に行って調べ物しないと判んない。鵬雲斎と西村さん、どっちが操縦でどっちが航法かすら私には判っていない。

徳島白菊隊は五次に渡る特攻を行い50名以上が死んだ。多分ろくに戦果はない、と思う。
今年5月、徳島白菊隊は生存者の老齢化を理由に最後の慰霊祭を終えたという。