素人の茶道

松永安左衛門。茶道全集其の二茶會作法篇。もちろん耳庵のことである。

お茶を始めてヤツト一年。別に師匠はない。諸方で招かれて茶席に列なり何時の間にか味を覺えたといふに過ぎないのだから、威張つた事は言へないけれど、お茶なるものはこの程度がよい、寧ろ眞諦に觸れてゐるのではないかと思ふ。つまり型に篏つて了つては駄目なんで、我々のは器物にしろ、軸物にしろ、それが良いから良いと思ひ愛用するのであつて、器物の由來書が添へてあり遠州侯の書附があるから良いのだとか、不昧公の添状があるから珍重するのだとか云つたやうになつてはお仕舞ひで、そんなものはあつたつて差支へないが,無くたつて良いものは良いので、道具そのものヽ持つ味を樂しむのが本當だと思つてゐる。

耳庵程になると、目が肥えていて真にいいものが見える、というのはあるかもしれない。でも、いくらでも道具が買えるので逆に道具の善し悪しだけに集中できちゃうって事かもしれない。

まぁそれが何に立脚していたとしても、耳庵や鈍翁ら小田原茶人の自由闊達な見立ては素晴らしい。

しかし、この時代の数寄者は、お点前ろくに学んで無くとも茶人として楽しめるんだよな。家元クラスを茶堂扱いするし。やっぱケタはずれの経済力があると違うよね〜。