心の叫びの巻

茶人隱語通言略解には、当時の誉め言葉も載っている。

ケシカラヌ(怪しからぬ)
賞美する場合の感嘆詞。(例)けしからぬお茶碗ですな、など何時も賞める場合に用ゆ
タマラヌ(堪らぬ)
器物の褒め言葉

昔の正客は、絶句したり/うなったり/ワナワナ震えたり/ゴクリと唾を飲み込んだり/あとずさったり/上を向いて沈思黙考したり、大変である。

今の正客は「この季節のお取り合わせでまことに結構…」とかは言っても「ぬぅ、こりゃあけしからぬお茶碗ですな、こりゃあタマラヌ」なんて言わないだろうな。


だからといってこういう誉め言葉が死語というわけではない。

「ぬぅ、こりゃあけしからん巨乳ちゃんですな。こりゃあタマラン」

などと今でも使われている。

今や世の多くの男どもは茶道に興味を失ってしまった。しかし、おっぱいへの興味は失っていない(ああ、失っていませんとも!)。

撫でてさすって口をつける。女体と茶碗の関連性には川端康成ならずとも気付く事だが*1、むしろ女体の賞玩の概念が茶碗に敷衍されただけなのだろう。やってたのがオヤジだから。

んで、もともとあった場所で文化の継承がなされ続けているだけなのかもしれない。

今、茶道は女性のものだ。もし男性に茶道ブームが起きたら、多分、これらのスラングは茶道用語として復活するぜ。きっと。

*1:彼の偉いのは茶道具が人手に渡りゆくことと性の遍歴をリンクさせたことだ