嫡流と養子

小堀遠州嫡流は七世小堀正方の時代に途絶えている。

正方の世代の養子関係、球撞きである。正峯が自分は親戚から養子を貰ってまで息子二人を親戚に養子に出した理由は不明。でも後に正方が生まれたのでそっちを嫡子に変更した。正方の兄たちが養子に行った家が「小堀遠州流」として嫡流になっている。

正寿の実家は京都代官。親戚が伏見奉行やってて横領して、連座はくらわなかったみたい。これまた不思議である。ふつー、グルと思うよなー。

結局「遠州流」は傍流の小堀正優が再興した。といっても正優は五世正寿の子なので、傍流と呼ぶのはふさわしくない気がする。正方が生まれなきゃ正寿の段階で嫡流は途絶えてたんだしな。ただし正優以降は大名ではなく、旗本として存続。そーゆー意味では大名茶ではない。

江戸時代後半に遠州流を採用していた藩は非常に少ない。ブイブイ言わしている今よりはマイナーな流派にだったのではないだろうか?


さて、現代には上記の系譜から「遠州流」「小堀遠州流」「大和遠州流」が残っているが、どーもなんだか仲悪そうで残念である。