資料としての茶話指月集

利休の茶を語る時、南方録と茶話指月集が例に挙がる。そして南方録は偽書である、とされる。

立花実山が、利休の弟子である南坊宗啓が書いた本を発見したもの。

でも利休の弟子に南坊宗啓なんていないし、南坊宗啓が書いた本を発見したのでもない。
立花実山が、利休はこんな茶をした、と南坊宗啓が見た振りをしてもっともらしく書いた本である。

んじゃ茶話指月集はどうなんだろう?

茶話指月集は久須見疎安が、藤村庸軒に聞いた話を書いた本。
藤村庸軒に聞いた話の内容は宗旦かく語りき。
宗旦の語った内容は「利休はこんな事をした」。

そこに嘘はないだろう。でも、だからって利休の茶を正しく伝えているとはかぎらんやん?

だいたい情報源の宗旦が利休とほとんど直接交流ない筈。
宗旦にとっても伝聞が主だった筈だ。

そもそも朝顔の茶会とか、梅しごく話とか、茶話指月集以前に流布していたんだろうか?あんだけの人気者利休が、あんだけの人気者秀吉と絡んで行ったエピソードの初出が江戸時代入ってずいぶん経ってからってのはおかしい。であればそこで創作した、と考えるのが普通だろ、常識で考えて。

利休を偲ぶ、という意味では、南方録も茶話指月集も同類であり、茶道的伝承的には大いに重視すべき。そして歴史的検証的には無視すべき存在だと思う。

んで、「怪しい資料」を除外しちゃうと、利休の茶ってどんなもんだったのかさっぱ判らなくなるんだよなー。