利休の茶

私は歴史への興味から「利休の茶とはどうだったんだろう?」というのを調べている。
それとは別に、茶道を学ぶ上での教養として、利休の様々な伝説を受け止めている。
この二つが別々に存在するのは、まぁ仕方が無いからと思って受け入れている。

流布している伝説から、茶話指月集とか南方録とかの話を「あやしい」として除くと、利休の面白エピソードのほとんどがなくなってしまう。もっというと利休がどんな点前をしていたかも判らない。正座してたかどうかすら不明だ。

逆に言うと、伝承的な意味での利休の茶、というのは、後世の人々が連綿として肉付けしていったものだと考えられる。

立花実山や久須見疎安だけでなく、様々な茶書の作者*1や、三千家家元、市井の茶道師範達が肉付けしていったもので、
利休はこうであろう、というイメージの折り重なった、共同幻想っつー奴ではないだろうか?つーか、みんなで利休を便利に使ってるっつーか。

んで、歴史的な方の「利休の茶」というのがどういうもので、どう面白かったのかがよくわからない。

松屋会記見てると、さほど面白そうではない。あんまり名物は出て来ない。なんか香炉の比重が重い気はする。でも他の同時代の茶人とそう変わらない感じがする。

近代数寄者の茶会の会記を読んでいると「おお、そーゆー取り合わせですか」とか驚く事も多いのだけど、そーゆーのが全然ない。

利休はなんでああも人気者になったんだろう?

*1:中には井伊宗観が初出のエピソードとかもあったりする。利休の知られざる新エピソードを幕末の大名が新発見したなんて、ありえねぇと思う。