私のお茶

藤原銀次郎 著。

藤原銀次郎は(私の感覚では)あの世代の中では遅れて来たお茶人。近代数寄者達の掉尾を飾る男が最晩年に書いた一冊。これは最後の茶人の証言、とも言える。

いふなれば、つまりお茶の味は質素檢約の味だ。
質素檢約の味がわからなければ、ほんたうにお茶の味もわからないわけである。

若い日は鈍翁の下で近代数寄者らしくぶいぶい言わせていたが、老いて財界人でも政界人でもなくなって、さほどお金の掛かるお茶ができなくなった,という数え90の老茶人の述懐は、いちいち含蓄がある。

いろんなエピソードが入っていて、非常に面白い。

でも、読んでいて感じる事がある。

侘び茶を指向して、お金の掛かる茶は駄目だよな、とか思っていて、やっぱりお金の掛かる茶を懐かしんでいる感じがする。道具の茶はやっぱり楽しい、と思っている。

なんかそんな感じが伝わって来るんだけど、気のせい?