自分の未来像

自分はどんな茶人になるのか。

…最近、とても悩む。見通しが悪いと言うか。


お茶の楽しみは人それぞれ。稽古自体が楽しい。新しいお点前を覚えるのが好き。着物を着る機会を作る為。いろいろあっていいと思う。
でも、私はお茶事の出来る茶人になって茶人として他の方と交流してみたいみたい。
だから、今お茶を習っていて、それが楽しくても、やぱりそれは過程なのだ。

まず、現状の確認。

お茶を習うのは貧乏人にでもできるが、お茶人として活動するには、ある程度じゃ済まない程度のお金持ちでないと、いけない気がする。

でも、お茶がお金持ちのものでしかなければ、お稽古に時間と金を投入する事でなく、金儲けにいそしむ。それが私のやるべきことになるだろう。でも、それはあまりに寂しい。

だから、今の収入やらなにやらをひっくるめて、現状を是とした上で、自分はどんな茶をするのかを考えねばならない。


私は適当な道具立てで季節感を楽しむお茶にはしたくない。
どこか一つでも本気なお茶をやりたい。しかも金が掛けずに。

…全然ビジョンが沸かねぇ。

このちっさい家で、自作の道具を中心に使って、自作の料理で素敵茶会。

そんなこと本当に可能なのか?
面白くできるのか?それ?

そして誰と、茶を楽しむのか?というのも課題だ。

妻は最初で最高の茶友だが、秘密の趣向を準備するのは難しい。道具茶やっちゃいけないと思うしネ。

茶外の友を茶友に仕込むのは、正直望み薄だな。

茶友ってどうひろげて行くものなのだろうか?社中を手がかりに広がって行くもの、なのかな?でも、その狭い範囲に私の趣向につき合ってくれる人がいるかどうか?

車輪の両輪がガタガタしていて、走る方向が定まんねぇ感じだ。