近代数寄者の茶

近代数寄者の茶はどんなものであったか?
私なりに総括してみる。

"東都茶會記",高橋箒庵より:

其の壁床に内藤鳴雪翁の
花一山紫衣の僧あり若衆あり
の短冊を掲げられたるに依り、略ぼ當日茶會の趣向を知る事を得たり、

寄付の掛け物から薄茶までの道具組全てでその日の趣向を体現する、ある種プログレッシブなお茶会が行われていた。

当然豊富な道具が必要なのだが、

"素人の茶道",松永安左衛門より:

それが金づくの道具攻めで、懐石の如きものでも食器や徳利盃等を見せる陳列會となつては、お茶の精神何處にありやと云ひたくなる。

皆さん、口では侘びを唱えている。しかし、実態はお金持ちにしかできないお茶。
鈍翁なんて専属料理人や竹職人についでに妾と小田原に籠っていた。

しかも趣向が不足していると、

"東都茶會記",高橋箒庵より:

唯當會は既に五回を重ねたれども、毎會同一趣向にして變化に乏しきの嫌ひなき能はず、今や都下の年中行事となりたる以上は、今後書畫陳列方法等に就き更に一段の工夫を進めて愈々來賓を満足されよかし、余は此點に於て聊か取隴望蜀の念なき能はざれば、遠慮なく希望を打ち明けて敢て會主の一考を乞ふ者なり。

文句言われた。おそろしい。でも、だからこそ、切磋琢磨があって、盛り上がったのではないかと思う。この批判精神は「結構なお道具で」と無理矢理まとめがちな現代茶道にも必要な気がする。

この時代の茶、客になったら面白そうである。亭主をやっていても面白そう。ただし亭主になるには「金持ち」という資質が必要だ。

あの時代を偲んで、会記を見て楽しむにはいいと思う。でも目指しちゃいけない方向だな。