真・行・草

真を崩して、行、草が生まれた、みたいな事が良く言われる。

でも書道史で楷書を崩したのが草書、ではないそうだ。草書は隷書を崩したもので、隷書を丁寧に書いたのが楷書。楷書の方が草書より歴史があたらしいらしい。

私は同様に、茶道も草庵でスタートし、大名茶の時期に書院の茶が完成したのだと思っている。

理由は二つ。

珠光が草庵の茶の創始であり足利義政に茶を指南したのであれば、草庵の茶が先にあったことになるし、逆に書院の茶が先にあったなら、珠光は誰から書院の茶を習って草庵の茶を創始したのか?という話になる。
というか、義政がお茶をやっていたとして、それは書院の茶だったのだろうか?同仁斎いらないじゃん。隣でやれよ。

また、宗長日記の「下京茶湯とて 此比数奇などといひて 四畳半六畳鋪 各各興行」という言葉は、小間の茶が流行していた事を意味する。
小間の茶を書院の茶、とは言えないだろう。例えそこで行われているのが台子の茶でも。

私は台子の茶=書院の茶とは考えていない。書院の茶と草庵の茶の関係が、唐物の茶と侘び茶の関係に合一するかというのに疑問を持っている。
台子は、運び点前が発達する前の、道具の初期配置が高度化したものだと考えている。つーか、唐物みせびらかしたい人用?

むしろ、江戸時代になってから、将軍お成りの茶などを通し、広間で格式高く行う大名茶ができ、そこから書院の茶が生まれたのではあるまいか?と私は考えている。

っていうか、茶人的には広間でお茶やってもちっとも楽しくないよな。
ほんとうに書院で茶が始まったのなら、今に伝わる程は流行せずに消え去っていたんじゃなかろうか?