茶の湯の常識−利休伝書が語る

町田宗心著/光村推古書院/2008年。

石州流の著者が「なぜお点前の時にこういう風にやるのか」を解き明かす。

ちょっとややこしいのは、現代の千家と武家茶道を比較し、その上で源流を室町、桃山時代の茶書に求めると言う書き方かな。


私は武家茶道の側で、濃茶を始めたばかりで、しかも千家系の濃茶点前の光景を見た事がないので、「おお、千家はそうなのか?」という視点で読んだ。

そうか。千家では濃茶を点てた後、正客を中心に点った茶の茶色の拝見はしないのか…。

そうか。千家では濃茶を飲み終った後、茶碗を洗いあげないのか。んじゃ「もう一服」は所望できないじゃん。

とか。


千家とそれ以外、では、出版物やVTRでの情報量に差があるので、千家の人は武家のやり方はあんまり知らないかも。だから「千家以外ではこんな事するんだ!」という驚きは千家系の読者の方が大きいかもね。だから千家系の人に読んで欲しい本かな。これは。


この本、一見、千家のやり方を「利休のやり方ではない」「桃山時代はそんな事していない」と読めなくもない。でも本意はそうではないだろう。

後半の、やや蛇足的な南方録批判を読めば判るが利休を、著者は必ずしも是とはしていない。

だから「利休のころのやり方」「桃山時代のやり方」が、必ずしもいいとは限らないし、当然、現代の我々のお点前がそれと違っていたからと言って、問題であるとも限らない。

著者は言いたいのは多分「茶道が思考停止して形式主義に陥るのはイカンよ」そのへんなんじゃなかろうか。

茶の湯の常識―利休伝書が語る

茶の湯の常識―利休伝書が語る